スティーヴン・キングの小説 『秘密の窓、秘密の庭』(「ランゴリアーズ所収」) の映画化。
人気俳優、ジョニー・デップが主演してます。
スティーヴン・キングのサスペンス・スリラーの代表格といったら、 『ミザリー』 と答える人が多いはず。
本作を観るにあたって、どうしても 『ミザリー』 と比較してしまうのは致し方ないでしょう。
作品の出来だけでなく、鬼気迫るストーカー役を見事に演じたキャシー・ベイツを超えられるか? といったところが見所だと思っていた。
結果としては、ジョニー・デップは個人的には大好きな役者なのだが、軍配は 『ミザリー』 に上がった。
脚本、構成、キャスティング、どれをとっても本作は負けてます。。゚(゚´Д`゚)゚。
不思議なのが、何故、この映画にジョニー・デップが出演したのか? と謎です。
彼は他にも、 『ナインスゲート』 、 『フロム・ヘル』 、 『スリーピー・ホロウ』 など、本作と同種のジャンル(サスペンス・ミステリー・ホラー)の作品に主演してますが、そのいずれにも劣る気がします。
単に、メジャー作家の作品に出演してみたかっただけなんですかね?(´ー`)┌
あらすじは、妻の不倫が発覚してから、小説家のモートは妻と別居状態となり、独り湖畔の別荘に移り住んでいた。
そこに、自分の小説をモートが盗作したとシューターという男が乗り込んでくる。
その男が手渡した原稿は、確かにモートが出版した作品 『シークレット・ウィンドウ』 と全く同じ内容だった。
身に覚えの無いモートだったが、シューターに盗作を否定する証拠を出せと詰め寄られ、しつこく付き纏われる。
シューターの行動は、脅しから、愛犬殺し、妻の自宅への放火とその凶暴性をエスカレートさせていく。。。
まぁ、すぐにオチが読めてくるイージーな脚本ですよね。
肝心の原作がとにかく面白くないんですよ。
映画のカラーというか、進行、構成どれをとってもスティーヴン・キングらしい映画になってしまっていて、原作者を知らなかったとしても、キングらしい映画だねって言ってたこと間違いない。
意外性がない。
ただ、モートの心理面(深層心理)においてはよく練られているので納得ができる。
ちょっと気になったのが、ジョニー・デップの演技がかなり過剰気味だったこと。
役者バカな人なので、役作りに拘るのはわかるのだが、あまりにも細かすぎたせいか自然でなかった気がします。
※ これ以降ネタバレしてます。ミステリー好きから言わしたら、もうちょっと騙して欲しかったですね。
形態からいうと、メタ・ミステリー(サスペンス)なんでしょうね。
シューターという男が現れた時点で、モートは二重人格、分裂症、多重人格のどれかだねと確信しちゃったほど。
まず、作家のくせに、暇さえあれば寝てばかりだし、出版社、編集者からの電話が1本もかかってこないってのはどう考えても不自然。
さらに、シューターという男が、盗作でない証拠を出せとしつこくモートに迫るのも変ですよね。
モートはEQマガジンに掲載されていると言ってるんだから、自分で探して確かめれば済むことだし、もっと言えば、盗作だと訴えているくらいなんだから、モートの 『シークレット・ウィンドウ』 の存在は知っていたわけで、その奥付を見れば刊行日付が明記しているはずだし、出版社に問い合わせすれば一発でわかることなんですよね。
極め付けが、モートの元に送られたきたEQマガジンから、勝手に 『シークレット・ウィンドウ』 が掲載されているページを切り取ってしまう行動は理解不能。
これはもう、シューターには行動制限があり、モートにEQマガジンを見られたくなかったのだと考えれば、モートの第二の人格(しかも敵対する)でしかありえないですよね。(´ー`)┌
だが、まさかそんな安直なストーリーではないだろうと思っていたのですが、真相はやっぱ分裂気味の多重人格者っぽかったですね。
わたくしは、モートがストーカーに悩まされていると町の老警官に訴えていたシーンで、老警官が、 「有名人にでもなったつもりか?」 というセリフを吐いた時に、もしかして、有名作家になったつもりのノイローゼのおっさん(療養中)がモートなのか? とか思っちゃいましたけど。。。(笑)
また、モートの妻や、彼が雇った探偵は、モートが自分に都合がいいように作り出した人格なのでは? なんて妄想もしたしだい。
サスペンスとしては、意外性もなく、面白くも無かった映画ですが、モートの心理状態という1点だけは良かったかなぁ。
自然環境に恵まれた湖畔の別荘で、家政婦(掃除)付きで、ワンコと暮らしながら仕事をする。。。
なんて、リッチでのどかな生活なんだよと、羨ましい限りなんですが、モートにしてみれば、仕事よりも別居状態、離婚調停中の妻・エイミーのことが気になって仕方が無かったようです。
元はといえば、エイミーの浮気が原因なのですが、エイミーは既に新しい彼氏と仲良く新生活を営んでおり、とにもかくにも早くモートと離婚したがっている。
その反対に、モートはエイミーに未練たらたらなのである。
男ってほんとふんぎりがつかないのねぇ。。。(´ー`)┌
しかし、エイミーを愛しているというモートがいる反面、自分を裏切ったエイミーを憎く思うモートもいたわけです。
それがシューター(シュート・ハー=彼女を撃て)となって、モートの新しい人格として形成されてしまった。
本作では、 『シークレット・ウィンドウ』 という作中作の小説が出てきますが、そこには、不貞を働いた妻を夫が殺害し、彼女が好きだった窓の下の庭に埋めてしまうというストーリー。
シューターは、この作品の結末を書き換えろと要求してきます。
ここで、疑問だったのが、 『シークレット・ウィンドウ』 の結末は既に妻を殺害して終わっているため、書き換える必要性はないだろうと思っていた。
書き換えろとはどういう意味か? それは、シューターの立場になって考えるとわかりやすいかもしれない。
シューターにとって、モートが生活している世界こそがフィクションだったのではないかとわたくしは思ってます。
現実の世界では、モートの妻・エイミーは生きているから。
だから、書き換えろ(殺せ)とモートに命じたのではないでしょうか。
その結果、エイミーを愛していたモートの人格と、エイミーを憎んでいたシューターという人格が入れ替わってしまった。
どちらもモートであることには変わりが無いのですが、シューターが主人格として優位に立ってしまったんですね。
シューターとのやり取りは、エイミーへの愛憎にもがき苦しむモートの深層心理を表していたのでしょう。
スティーブン・キングは、デビュー作でもある 『キャリー』(1974年) から精神疾患をサスペンスに取り入れた作品を多く書いてきただけに、主人公の心理状態を描くのが非常に上手いですよね。
ただ、本作は、やっつけ仕事だったみたいですが。。。(笑)
( ゚_ゝ゚) { 『お前の知っていることは全て間違っている。』 自信喪失しそうです。。。